なぜ彼を失うのが怖いのか
別に彼のことが好きなわけではない。話題もとくにないし、共通の趣味もない。一緒にいてもべつに楽しくないし、セックスするだけ。
私なんてどうでもいいと思われてるし、友達未満の存在。大切だなんて感情は微塵も持たれてない。ただの都合のいい相手として粗末に扱われてる。
なのに、なぜ私は彼を失うのが怖いのだろうか。どうでもいいふりして、興味ないのを装って、自分を矯正しようとしてるけど、正直に言うと、やっぱり切れてしまうのを恐れてる。
それは、ハイスペの彼との関係が切れることで、私の虚構の”箔”が剥がれてしまう気がするから。もともとそんなものは存在していないけど、自分が勝手に感じている”ハイスペと関わりのある自分”という謎の虚栄心が失われてしまうから。そうすると、自分がまた何の取り柄もない凡人に戻ってしまう気がするから。
そんなものはどっちみち最初から存在してなくて、自分の思い込みでしかないのにダサいよね。
そんなものにすがらない自分になりたい。身ひとつで自信のある自分になりたい。そうしたらもっと楽に生きられそう。
余裕のある女になりたい
私の恋愛がうまくいかない理由。
それは高望みしすぎるから。
高望みする理由。
それは自分に自信がないから。
自分に自信がない理由。
それは何も成し遂げられてないから。将来が見えないから。お金を稼げてないから。
だから、これらを持ってる男に愛されることで、自分がこれらを得たような気分になれそうな気がして、そういう男ばっかり求めてる。
でも、そういう男はこれらを持ってる。ということはつまり、自信を持ってる。
こんなのでうまくいくわけがない。彼らにとって、私には何のメリットもない。自信のある男は自信のある女が好きだし、さらに自尊心を高めてくれる女を求めてる。
永遠に埋まらない溝。客観的に見て、どう考えてもうまくいくはずがない。
結局のところ、自分の幸せを他人に求めてはいけないのだ。男をツールにしようとしてはいけない。自分のことは自分で幸せにしないといけない。
自信をつけること。そのために成果を出すこと。お金を稼ぐこと。ここから根本的に変えないことには、多分私は、私が納得いく幸せを手に入れることはできない。
もしそうなれたら、高望みしなくなると思うし、高望みしなくてもいい男が寄ってくると思う。ステージが一段上がるかんじ。
中身がないくせにハイスペにしがみつく女はダサいよな。ダサい自分にはさよならしたい。かっこいい女性になりたい。自信のある女性になりたい。
男はいったん置いといて、しばらくは自分の面倒をみることに専念しようと思う。
アイデンティティがない
“What are you?”
と聞かれたら、何て答えるのか。
私は何者なのか。未だに、答えられない。アイデンティティがない。
例えばあの人なら何て答えるのかな?あの人は?って周りの人を想像したら、みんなだいたい何者かである。そして彼らはそれを誇りに思ってるから、自信満々に答えるだろう。
なのに、私には何もない。
大阪人?そんな言うほど大阪人らしくない。気の利いた面白いことも言えへんし。
ウェブディレクター?前職ではたしかにそうだったけど、今は違うかな。
編集者?いや、編集のことなんて何も知らない。入社してから、ここが編集部と呼ばれてることを知ったくらい。
趣味も特にないし、好きなことも特にない。やりたいこともない。
唯一したいのは恋愛。でもそれは結局、自分が何者かになるために恋愛がしたい、というところに行きついてしまう。
毎日何して生きてるんだろう。何もしてないな。生きてないな。自分の人生を生きていない。
高校生の頃は、◯高生だった。地元でも名の知れた進学校で、高校名言うだけで一目置かれてた。そしてダンス部に所属するダンサーであった。ダンサーでいることで、自分のことをかっこよく感じることができた。
大学生の頃は、クラスの仲良しグループのメンバー。◯◯店員。そして◯◯の彼女。彼の彼女でいる自分が誇らしかった。
海外に行けば、自分は日本人。そしてアジア人。
今ここにいる私は一体何者なのか。それに答えられない限り、自己肯定感も自信も持てず、どこか不安で、何者にもなれなかった自分にがっかりする人生になるんだろうな。
必要とされたい。ここにいると認識されたい。誰かの何者かになりたい。それがアイデンティティになるんだろう。
今の私は孤独。それが、私が囚われて抜け出せないこのネガティビティを生み出しているみたい。
自己肯定感とは成果を出した経験の有無
自己肯定感の低さ、自信のなさの理由がわかった。
今さら感しかないし、そんなことは前からわかってたけど、“成功体験のなさ”が理由な気がする。
人生において、成果を出したことがない。子どものころからスポーツは苦手で、歌も楽器も苦手。小中学校でこれらが苦手であることは、かなりの劣等感を醸成する。
記憶力を要するような勉強だけはできたけど、そこは自己評価としては低かった。なんなら、周りから勉強できると思われたくなくて、テストで満点取っても騒がれないようにひそひそ隠してた。
高校ではダンスをやってたけど、大してうまいわけでもなく。進学校だったので入学した途端に落ちこぼれ。
唯一の成果は、大学入試直前になって頑張ったおかげで、受験したところ全部受かったことくらい。高校・大学入試合わせて、落ちたことない。でも所詮大学入試では、不得意な理系科目を諦めて国公立を断念したという負け組意識があった。
思い返しても、成果といえるようなことは本当にそれしかない。強いて言うなら、帰国子女じゃないけど英語が流暢に話せることくらいかな。まあ日本語でも大した話はできない人間なので、英語で話せる内容も知れてるけど。
大学では、バイト先で自分の仕事のできなさを初めて目の当たりにした。いつも後輩的ないじられポジションをとることで、誤魔化しながら居場所を作ってた。
そういう劣等感から、自分を成長させるために飛び込んだ学外の活動では、さらに厳しい現実が待っていた。できない自分。頑張り方もわからない。成果が出ないからやる気もどんどんなくす。周りに迷惑かけてる申し訳なさ。でもやっぱり無理。そうやって負のループで落ち込んで、軽く心を病んだ。
そこで消耗してたから、就活もろくにやらなかった。いや、真剣にやってても大したところには就職できなかったのかも。とりあえず後がなくて入社を決めたところは、私の学歴からしたらなんでこんなところに?っていうようなレベルの会社。恥ずかしい。劣等感。でもちゃんと頑張ろうと思った。
しかし成果は出ない。やり方がわからない。環境のせいだと思って転職活動するも、履歴書に書けるようなことがない。
そのときは、たまたま機会があって海外で働くことになった。そこでは、自分がアジア人であるということ、英語が他の外国人に比べてできないということ、容姿、などでまた劣等感に苛まれる日々。楽しかったけどね。
帰国して一時しのぎで始めたバイトでは、プライドがズタボロになった。ひとつは結婚式の宴会、ひとつは引っ越しの荷造り。底辺みたいな仕事で、低学歴の先輩に理不尽に怒られ、心を殺すしかなかった。ホステスもやった。向いてないなと思った。女としての自分を客観視できる機会だったから、やってよかったと思うけど。
東京に来て、これぞやりたかった仕事!って思えるような仕事に就いた。怒られながら、夜遅くまで働きながら、自分のできなさを直視させられたし、しんどかったけど、社会人として少しはマシになったと思う。でもやっぱり、大した成果は上げられてないまま、転職した。
プライドを持ち直すことにする
自分が一番傷つくとき、一番腹が立つとき、一番悔しいとき、それは多分プライドを傷つけられたときだなと思った。
そんなに大したプライドがあるわけではないけど、数少ないプライドを踏みにじられると、ショックと悔しさがわいてくる。
プライドって何なんかな?
自分がほめられたとき、素直にうれしく思える事項のことかな?自分でもある程度の自覚や自信があること。そこをほめられたらうれしいし、けなされたらプライドが傷つく。
自分がバカにされてるな、粗末に扱われてるなって、やっと、今頃になって、ようやく気づいた。今までお花畑だった自分が恥ずかしいし悔しい。
見下されて、粗末に扱ってもいい存在と思われて、大切なものの中にはいつまで経っても入れてもらえなくて、そのくせ都合よく消費される。
表面上は優しく接してても、実際は次元の低い別の人種と見なされてたんだろうな。
悔しいな。あほらしい。
残りの人生は、自分を大切にしよう。私のことを大切にしない人間に使う時間はない。
プライドを持って生きよう。
29歳の誕生日
今日で29歳になった。
20代最後の一年、30歳へのカウントダウン。
自分がもっと若い頃に想像してた29歳とは全然違うなあ。
大人、おばさん、誰かの奥さん、赤ちゃんのお母さん…。そのどれでもない今。
気分的にはまだ25歳くらい。見た目的にもそれくらいに見られるし。中身も伴ってないし…。
年齢は数字でしかないし、年齢に合わせた幸せのテンプレが自分にあてはまるわけでもない。知ってるけど、やっぱり数字が大きくなっていくことに焦りは感じる。
でも、今が一番きれい。これは事実。この一年、美容系の仕事に転職して、婚約者と疎遠になって、手が届かない男に惚れて、自分を見つめなおして、もっときれいになれるように頑張ってる途中。だから、若い頃に戻りたいとは思わない。
その過程で問題点も見えてきた。
29歳の私が取り組むべきは、自分に自信をつけること。自己肯定感を高めること。毎日をポジティブに楽しむこと。そして、男に期待しなくてもワクワクしながら生きること。
これを決意として今日から新たな年にする。
28歳は、非予定調和で私にとって試練の一年間だった。今こんな状態になってるなんて、思わなかった。でも、自分の納得いく人生にするために、考えなおす機会となったととらえて、29歳は最高にポジティブな年にしよう。